252215_158901860843474_100001709829730_341748_4764834_a
 

  南部如月流茶道指南 三条みゆき 其の八十八


  あぁ、多恵さん、 あぁ、多恵さんじゃな、 多恵さんではないか、 どうしたんじゃ、 あぁ、どうして其処にいるんじゃ、  うおっ、 あぁ、 何じゃ、 わしはどうすれば良いんじゃ、  あぎゃ、 あぁ、 出る、 あぁ、 みっ、みゆきさん、 いかん、 そっ、其処は、 あぁ、 其処を握ってはいかん、 いかんちゅうに、 あぁ、 うぎゃぁ、 うぎゃっ、 でっ、出てしまう、 あぁ~ みゆきさん、 握ってはいかん、 あぁ、 多恵さん、 多恵さん、 ダメじゃ、 出る、 本当に出る、  あぁ~ うぎゅっ、 ダメじゃ、 もうだめじゃ、 出る、 出る、  出てしまうもんじゃぁ~  あぁ、 本当に出てしまうというもんじゃ~    
    蜘蛛屋敷の奥深く、 
 南部如月流理事長、黒柳源蔵の歓喜の声が木枯らしを舞うように晩秋の蜘蛛屋敷に木魂していたのだった。
 旦那さま、  あぁ、  旦那様、 大丈夫ですか、 大丈夫ですか、  源蔵の耳に遠くから聞き覚えのある声が絶叫の喜びを遮るフォルテの様に聴こえていたのだった。
 あぁ、 旦那さま、 旦那様、  気が付かれれましたか、 この屋敷に古くから仕える使用人の多恵がソファーに大きく頭を打ち付け項垂れる様に眠っていた源蔵を呼び覚ましていたのだ。
   うん、?  うん?  何  何じゃ、  あぁ、 多恵さんか、  なっ、なんじゃ、  此処は何処じゃ、  あっ、あの、 あのボタンの花は ?  みっ、みゆきさんは ?   うむっ、 あぁ、 そうか、 あぁ、 そうか、 うぅむ、 ビックリしたもんじゃ、  あぁ、 ゆっ、夢か、 夢じゃったんじゃな、 うぐっ、 あぁ、 そうか、 そうか、  夢じゃったんじゃ、 うむっ、 夢か、 夢を見てたんじゃな、  
 う~ん、 源蔵は思わず現実を確かめるように下半身を見たのだ。  ふむっ、 源蔵は自分の下半身がふんどしを突き破る勢いに大きく盛り上がっているのを感じていたのだろう。  源蔵の下半身はこの場でも夢冷めやらぬ中で大きく勃起していたのであった。  あぁ、 いっ、いかん、 多恵が冷めたコーヒーカップに眼を取られている隙に源蔵は自分のふんどしが白液で汚れていないかを確かめたのだった。  うん、うん、 大丈夫じゃ、 大丈夫じゃな、 何か出してしまったような気分じゃが、 源蔵はあの夢の中で美しい茶道指南三条みゆきが自分のモノを口の中に銜え絶叫に歓喜する思いを感じていたのだった。
 あぁ、 良かった。  そうか、 そうか、 本当に夢だったんじゃ、 しかし本当に良い夢を見たもんじゃ、  ふっふっ、 御蔭であの時の本当にわしのモノを口の奥まで咥えさせた時の最高の悦びをハッキリと思い出したというもんじゃ、 うん、うん、 本当に気持ちの良い夢じゃった、 うっ、くっ、くっ、  源蔵は大きく息を吸いながら安心したのか下半身にあてた手を大きく頭の上まで伸ばして深呼吸をしながらやっと夢から完全に覚めたのだった。
 旦那様、 大分疲れてみえるんですね、 部屋の外まで何か大きな声が聴こえてましたよ、  もう一度熱いコーヒーを入れて来ましょうか、 多恵は講演会や理事会で忙しく飛び廻る源蔵を労うように云ったのだった。
 あぁ、 有難う、多恵さん、 大丈夫じゃ、  うん、うん、 そういえば関東のみゆきさんが来てたんじゃな、ちょっと眠ってしまって、  う~ん、 随分待たしてしまったかもしれん。  おぉ、そうじゃ、 よしよし、 それじゃぁ、多恵さん、 悪いが三段間までもう一度わしのコーヒーとみゆきさんの好きないつもの飲み物を一緒に持って来てもらおうかな、 源蔵は少し急ぐように立ち上がりながら云ったのだった。
 あぁ、 それと帰りに地下室にある茶釜の湯の用意もお願い出来るかな、 うん、うん、 そうじゃ、 暢気に寝てる場合ではなかったわ、  今日はわしが勝つんじゃからな、  ふっ、ふっ、 あの西尾の一色園の抹茶の味は難しいからな、 よしよし、今日は負けんぞ、 絶対勝つんじゃ、 源蔵は以前記した闘茶の戦いを楽しみにしていたのだった。  
 はい、はい、 旦那様、心得ておりますよ、 もうすでに何時でも出来るように仕度はしてまいりましたから、 それに先週手に入れた丹波吉木屋の半蒸し抹茶の用意もしてありますからね、 多恵はこの半蒸し抹茶で源蔵が少し悪さをして若い茶道指南三条みゆきとの利き茶で勝とうとしている事は分っていたのだろう。  古くから源蔵の事をよく知るお手伝いの多恵だったのだ。  あぁ、そうか、 其れは有り難い、 うん、うん、 源蔵はそんな多恵の心使いを快く思っていたのだった。
 ふっ、ふっ、ふっ、  あの吉木屋の半蒸し抹茶じゃな、 うん、うん、 よしよし、 あの半蒸し抹茶で茶の味を誤魔化してやる、  源蔵は少し悪さをしてもシルクシソーラーの絹舌を持つ三条みゆきに勝ちたかったのだろう、 そうじゃな、其れも楽しみじゃ、 よしよし、  夢から覚めた源蔵は背伸びをするように身体を伸ばしながら茶道指南三条みゆきの待つ三段間に向かったのだった。
 あぁ、 みゆきさん、 待たせて悪かったな、 最近、みゆきさんの御蔭でわしまで忙しくなってしまったわ、 うんうん、 みゆきさんも元気そうじゃな、 相変わらず綺麗な娘さんじゃ、  ふむっ、 今日はまた渋い着物を着ておるな、 桔梗の裏染め友禅じゃな、 う~ん、 わしも紫色は大好きじゃ、 しかしみゆきさんはどんな着物を着てても綺麗じゃな、 良く似合うもんじゃ、 源蔵は柔らかい笑顔で茶道指南三条みゆきを迎えたのだった。
 まぁ、 本当に先生は着物にはお詳しいんですのね、  でも相変わらずお上手ですわ、 先生は誰にでもそんな言葉をお掛けになるんでしょ、 みゆきも軽い笑顔で返したのだった。
 ハッ、ハッ、ハッ、 いやいや、そんな事はない、 本当じゃ、 本当にみゆきさんは綺麗じゃ、 わしは嘘はいわん、 うん、うん、 二人の会話は秋の穏やかな日差しのように流れていったのだった。  
 みゆきさんの御蔭じゃな、 この前もみゆきさんをTVで見させてもらった、 ふっ、ふっ、 本当に見事な利き茶の腕前じゃったな。  あれでは誰も勝てんはずじゃ、 みゆきさんの秘密を知っておるのはわしだけじゃからな、  ハッ、ハッ、ハッ、  其の為にわしの講演依頼も断るほど増えたし、 うん、うん、 本当にビックリじゃ、 此れほど南部如月流の名が全国に知れ渡るとは予想もしてなかったもんじゃからな、  わしも本当に困ったもんじゃったんじゃ。  源蔵は困ったと云いながらも嬉しそうだった。
  みゆきさんも知っておるじゃろ、 京都峰岸流の代表幹事をしておる藤堂さんじゃ、 京都に講演に行った時に言われたんじゃ。  あれだけ古い伝統に拘って来た源蔵さんがこんな思い切った事をしぃおわすなんて信じられまへんな、 変わりに何かええ思いでもされたんやおへんか? とな、  あの頃は随分他にも源蔵さんが日本の伝統文化を壊したとか色々嫌味を言われたもんじゃ、  あぁ、いやいや、 みゆきさんに文句を言ってるんじゃないぞ、 其れどころかわしはみゆきさんに感謝してるんじゃからな、 本当にみゆきさんの御蔭でわしの頭にも少し毛が生えてきたわ、 ハッ、ハッ、ハッ、 みゆきも源蔵の冗談交じりの話が理解出来たのか大きな笑いを浮かべていたのだった。  
 あぁ、 そういえばこの前の理事会の話じゃ、 何処の支部もお弟子さんが増えているそうじゃ、 特に関東支部の門下生の数が相当増えておるとな、 先日の理事会の報告でも驚いておったところじゃ、 うんうん、 源蔵は何か自慢げに理事会での話しを聞かせていたのだった。
 クスッ、 みゆきは小さく笑った、 まぁ、先生、 私の御蔭だなんて、 本当は先生の御蔭でしょ、 先生が新茶道に理解を示して頂いたからこうなったんですもの、  其れにお弟子さんが増えたのは関東だけではありませんわ、 あの九州総支部のお弟子さんの数は驚くほど増えてますものね、  みゆきは源蔵の眼を真っ直ぐ見ながらも美しく澄んだ瞳を輝かせていたのだった。  
 南部如月流茶道指南の末席にいた三条みゆきも源蔵との秘密の絆を結んだ後、新茶道への大胆な改革の功績が認められ今では関東総支部長に抜擢されていたのだ。  みゆきにとって九州総支部の弟子の数が関東総支部の数を上回った動きには最大のライバルとして気になっていたのだった。  源蔵はそんな三条みゆきの真面目な面影にあの時の夢に出ていた誇り高い茶道指南三条みゆきの涙に濡れた美しい裸体を思い浮かべるのであった。
 源蔵はみゆきと交わした秘密の約束に応え理事会で新茶道研究会から提出された五つの改革案の中で二つの要望を取り入れたのだ。  一つは先に記した闘茶と云う古来から伝来する茶の味を利く所作に対面相手との闘いを取り入れ南部如月流修練の場に新茶道の新しい試みを齎したのだ。 
 そしてもう一つは稽古場の茶室に所謂掘り底の稽古式を取り入れたのである。 この事により正座の苦痛を気にせずとも難しいとされる茶の所作を外国人でも気軽に体験し学ぶ事が出来るようにしたのである。 それは日本文化に魅了され茶道を学びたいと云う外国人に対しての配慮でもあったのだ。 戦後先進国の仲間入りをしたこの頃から日本文化に興味を持つ外国人の数が年々増え茶道を体験したいという外国人の方々も多くいたのだった。  
 ただこの要望は以前から理事会には出されていたものだったのである。 其れは現在の南部家の次女である南部薫子の存在があったのも確かだろう。  この宗家の南部薫子は日本芸術文化大学を卒業の後外務省職員として米国ロサンゼルスに駐在し日本文化の広報活動をしていたのだった。 だが畳の上に正座して茶を飲む日本の茶道文化は中々受け入れられなく薫子は悩んでいたのだった。 靴を脱がなくても、正座をしなくても茶道と云う日本文化を体験し理解して欲しい、 薫子は其の為に何度も理事会に外国人にも受け入れられやすい新しい茶道修練の場を提案していたのだった。
 最近は老舗の料亭でも見かけるようになった堀り底だが当時としては考えられない試みで其のアイデアが南部如月流茶道から生れたものだった事を知る者は少ないであろう。  
 永い伝統と格調高い武家茶道の格式を誇る南部如月流茶道が其の大胆な改革を取り入れ、利き茶で闘う、又 修練の場において堀り底を採用し外国人の人達にも気軽に茶道を体験出来ると云う大胆な試みは大手新聞週刊誌やマスコミに驚きをもって取り上げられたのである。
  当時政治の世界でも改革という言葉が持て囃されていた時代だった。 古い伝統を破壊するものだとの批判と外国人でも日本の伝統文化が体験出来るとする賛成派との間に大きな議論となり話題となったのである。  当時其の反響の大きさに新聞社のインタビューに答えていた南部薫子の言葉が印象的なものだったので此処で其の一部を紹介しておこう。
 私達は伝えられる様な日本の伝統文化を壊すつもりは有りません、 当然堀り底のアイデアは外国人の方への配慮の中で考え出されたものだったのです、 歴史は時代と共に変化していきます。 日本の住宅にも洋風化が進み畳みの上に正座をして食事をする家庭は少数になっていったのでしょう。  其の為日本の若い女性達も正座をする習慣が外国人の方のように苦手になっていたのです。 マスコミの方々の報道で正座をしなくても茶道が体験出来るのならと外国人の方よりもむしろ南部如月流茶道を習いにみえる日本人の若い人達の方が多くて驚かされましたと答えていたのであった。 
 また当時TVゲームの一大ブームの終焉の中で若者達に茶を前にしてリアルに対面の相手と闘うと云う斬新な試みが結果として二人の会話のように南部如月流に多くの門下生を生み出していったのであった。  ただ残念な事にこの茶道の場に堀り底を取り入れた試みは三年ほどで幕を閉じるのである。 其の理由に関しては後ほどに述べる事にするが先に記した通りこの堀り底のアイデアは昨今一般の料亭や老舗の日本旅館の中にでも多く取り入れられていったのである。
 
 さぁ、 みゆきさん、 それじゃぁ、 下に行って勝負させてもらおうかな、  あぁ、 いや、いや、 此れは失礼じゃった、 そうじゃ、 みゆきさんは今、南部如月流の筆頭茶闘師になったんじゃな、 う~ん、  そう云えばあの時は茶ムリエなどと変な呼び方をしてみゆきさんに怒られた事を今でも憶えておるわ、  
 ふっ、ふっ、ふっ、 茶闘師じゃな、 うん、うん、 良い呼び名じゃ、  其れじゃぁ、筆頭茶闘師のみゆきさん、  勝負じゃぞ、 今日は負けんからな、 絶対わしが勝つんじゃ、  源蔵は多恵の持って来たブルガリアンコーヒーをゆっくり味わいながら南部如月流筆頭茶闘師に昇格した三条みゆきと共にあの地下室の茶室に向かうのであった。